あこがれ星人。

役者&イラストレーター 鈴木もものブログです。、

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私の好きな"衣裳"の話

今から書く話は私のファッションについての話なのですが、あくまでも考え方の話であって、私自身は決してオシャレではない!ということを最初に伝えさせていただきます。

 

 

小さい頃から"衣裳"が好きです。

私にとって服はいつも"衣裳"です。

 

祖母や母が洋服好きだというのもあって、昔から服を買い与えてもらっていた方だったと思います。当時は今ほどファストファッションが広がっていなくて、子ども服は高いのにすぐに着られなくなってしまうというような印象だったのではないかなと思います。それなのに可愛くしてくれて嬉しいですね。

 

いつだったか、母は私に「回ると丸く広がる長いワンピースが欲しい」と、言われたそうです。

美女と野獣』のベルが本を持ちながら歌っているシーンで、回るとベルのワンピースがふわっと広がる描写がありました。私はそれをやりたかったらしいです。

回った時に真上から見て丸く広がっていなきゃだめで、丈も短いのは嫌だ、長い方が良い、袖は下に白いシャツを着るからノースリーブで、ウエストもしっかり自分に合ったものが良いと、とにかく細かく指定されたとのことでしたが、そんな理想のワンピースなど無く、母はミシンで作ったそうです。裾に透かしの柄が付いている赤いワンピースです。そのワンピースがお気に入りでした。

 

そこから私は好きな人や物、キャラクター、ひいては音楽や作品の世界観を身にまとうようになりました。

キャラ物のグッズを使うというよりは、そのキャラクターや人が身につけているものに似ているものや色味や、髪型を真似したりして、なりきっていました。

幼なじみとジム・キャリーが主演の『マスク』にハマっていた頃は、ボール紙でロキのマスクを作って、幼なじみと2人でマスクごっこをしていましたし、『Dr.スランプアラレちゃん』や『ドラえもん』『ウルトラマンダイナ』のなりきりパジャマを着ていたのもよく覚えています。

ドラゴンボールGT』を見て、パンちゃんになりたくて、ギルのぬいぐるみを片手に持っていました。

 

当時はモダンダンスを習っていて、発表会の衣裳を着るのがとても楽しみでした。

メイクの記憶はあまりありませんが、髪型に関しても私から母にしょっちゅう指定があったようで(笑)、ツインテールや三つ編み、そしてそれを解いてソバージュ風にしてもらったりしていたそうです。

なぜか幼稚園児にしてパーマをかけたがり、卒園アルバムはふわふわの髪の毛で写っていました。(当時パーマの技術が今ほどは無かったので、3〜4時間椅子に座って動かずに耐えたらしい、、そんなにパーマかけたかったん?)

小さい頃は祖母と母のセンスが良かったおかげで、オシャレでかわいい服を着ていました。

 

小学校中学年くらいになると、ちゃおを読むようになり、たまーに祖母や母が買ってくれるメゾピアノやエンジェルブルーなどのナルミヤブランドを着て、普段はスカートが多かったです。当時私の中で水色が大流行していて、全身水色だったこともあります。母が止めても登校してたくらい自分の感性を信じ込んでいたようですが、当時の写真を見ても、奇抜ではあるけれど、当然オシャレだったとは言えませんでした、、、。

当時『マーメイドメロディー ぴちぴちピッチ』が私や友達の間で大流行していて、貝のモチーフのネックレスを付けていました。髪型もるちあみたいにハーフツインにして!とは母に言いました。

 

小学校5年になると、神奈川から東京に引っ越します。

転入先で友達が出来るか不安だった私は、第一印象を良くしなくちゃ!せめて服だけでもかわいくいなくちゃ!と思い、メゾピアノの服にハーフツインで初日に登校したのを覚えています。

するとクラスメイトの男の子から「スカートなんて履いて、お前、ぶりっこだな」と言われました。

衝撃を受けました。「前の学校ではスカートを履いていても、ツインテールにしていても何も言われなかったのに、、スカートを履いたらぶりっこなのか、、!」

それから小学校を卒業するまで、私の"衣裳"はスカートでは無くなりました。ぶりっこと言われないように、女の子からも男の子からも嫌われないように、いわゆる「男の子らしい」服を着るようになります。

メゾピアノはタンスにしまい、アディダスのTシャツにハーフパンツやカーゴパンツ、休み時間にドッジボールをしても動きやすいようなスニーカー。

長かった髪の毛もショートにしました。当時は"小学生の男の子"という"衣裳"を身にまとっていたし、その時はそういう服が好きになっていました。

今見てもめちゃくちゃダサかったですが、それで良かったようです。謎ですね。

 

 

中学生になると、おこづかいをもらい、自分でお金を使えるようになり、より如実に、且つ意識的に"衣裳"を身につけるようになります。

演劇部に入り、先輩が素敵な舞台"衣裳"を持ち寄ってくるのが羨ましかったのは覚えています。

舞台"衣裳"を着るために、本番中だけは、メガネからコンタクトに切り替えました。今では当たり前のその変化すらも楽しかったし、ヒールを履くのも楽しかったです。

 

私はというと、ドラゴンボールに熱中していました。そこから「アニメオタク」へと変身を遂げます。昔からアニメは大好きだったのですが、自分がオタクであると自覚をしたのはこのあたりでした。アニメが好きになると、アニメキャラクターが好きになります。

 

そして私はここからアニメのキャラクターの"衣裳"や"小道具"を探すようになります。

もちろん自分の好きな服も大切にしつつですが、、。

涼宮ハルヒの憂鬱』の涼宮ハルヒなら黄色い髪飾り、『らき☆すた』の泉こなたならチョココロネ(を食べていた)、『ドラゴンボール』のバーダックなら赤いアームカバー、悟空ならオレンジの服、ビーデルならオーバーサイズの白いTシャツに黒いレギンス、などなど。

ディズニーも大好きだったので、『リトル・マーメイド』ならフランダーとセバスチャンのぬいぐるみを部屋に置いていましたし、『トイ・ストーリー』ならバズとウッディの人形も持っていました。

それはアニメキャラクターだけの話ではありませんでした。

中川翔子が好きだったので、しょこたんみたいな服、かわいいスカートを再び履くようになりました。学校は制服だったので、バカにされることはないし、学校以外の場所では好きな服を着ることが出来ました。

ALI PROJECTが好きになればゴシックパンク、まではいかず、そういうテイストを自分の持ってる服に取り入れたり、マイケル・ジャクソンが好きになれば、キラキラの小物や白いシャツなど。フジテレビで『クイズ!ヘキサゴンⅡ』というバラエティ番組が流行っていたとき、私はその番組内で組まれた「羞恥心」というグループが大好きになり、つるの剛士さんみたく赤黒チェックの服に缶バッチをつけていましたし、上地雄輔さんみたく、オーバーオールにカラフルなパーカーを着てみたり、ひまわりのヘアゴムを腕につけてみたりしていました。黒歴史...。

 

中学時代は再び髪も伸ばしていましたが、ある日私は、突然ぱっつんの前下がりボブにしたくなりました。

当時はまだAKBが流行る前で、前下がりボブが流行ったのはそれから1年以上後に前田敦子さんが流行ってからでした。

美容室で伝えると「本当に良いんですか、、?」と何度も聞かれながら切ってもらいました。

私はこの髪型が気に入っていました。

しかし学校に行くと、別のクラスのイケてる系の女の子から「えっ、それ美容室でその髪型にしてくださいって言ったのぉ?」と笑いながら言われたのを覚えています。

透明のリップグロスを塗ったときは「天ぷら食べた?(マスカラつけてる女の子)」とか、ワイシャツの第一ボタンを外したら「ももちゃん不良じゃん〜(第二ボタンまで開いてる女の子)」とか、とにかく私は周囲から見ても「ダサくて真面目なオタク」だったようで、そこから抜け出そうと、水面に顔を出すたびに、底に沈められるような感覚がありました。

当時は、変わることは良くないことなんだな、と思っていました。

 

高校生になると、高校生向けのファッション雑誌を読むようになりました。

周りも髪を染めたり、眉毛を整えたり、しっかりメイクをするようになったりしていきます。

私は流行りも気にしながら、好きな服を着ていました。好きな服を着れたのは、高校の子たちのおかげだったのかもしれません。

私の高校の子たちのおもしろいところは制服の着崩し方でした。スカートを短くして、ニーハイソックスを履いたり、セーターのボタンを全部うさぎのボタンに付け替えたり、袖にレースを付けたり、ブレザーに安全ピンやチェーンを付けたり、ワイシャツにカラフルなパーカーを着たり、それはパンク好きだったり、ロリータ好きだったり、とにかく、自由な着崩し方をしている子が多かった記憶があります。

オシャレかそうでないかは人によるからなにも言えないですが、自己表現という観点では、すごく良いな、と今では思います。

私は制服は今しか着られないものだから、出来る限りそのまま着ていたい、という考え方だったので、そのまま着ておりましたが、『けいおん!』を見たときに、平沢唯が制服に黒タイツを合わせているのを見て、「そうか、わざわざ寒いハイソックスをずっと履いてなくてもいいんだ!しかもかわいい!」となり、冬場は黒タイツを合わせていたのを覚えてます。

当時の記憶が何故かあまりないのですが、ティム・バートン監督作品の『アリス・イン・ワンダーランド』を見て、この作品内のアリスみたいな細かいストライプのワンピースを身につけていたのは覚えてます。ディズニー作品は私の求めてる"小道具"をグッズとして出してくれることが多かったので、マッドハッターの帽子や胸につけてるピン、『パイレーツ・オブ・カリビアン』のアステカの金貨のペンダントは今でも持っています。

服はメゾピアノの名残なのかもしれませんが、当時はリズリサが好きで着ていました。あとしまむらとハニーズ。甘めの服か、パキッとカラフルな服かの二択だったと思います。

髪型は前髪を伸ばして、ワンレンのロングでした。これは私の意図ではありませんでした。

芸能養成所に通っていて、そこで「おでこは出した方が良いから前髪は伸ばせ、髪は切るな、痩せろ」と言われ続けていたので、その通りにしていました。

高校時代の考え方のまま、大学生になりました。

大学時代は最初と卒業前あたり以外は、ほとんど"衣裳"としては服を着ていなくて、あまり気にしていませんでした。というか気にする余裕がなかったのでした。

最初は印象を悪くしてはいけない!と思っていたものの、ほとんど毎日が舞台の稽古で、学校に行ってもすぐに稽古着に着替えてしまうので、着替えるのが面倒だった私は稽古着で大学に行くこともしばしば。たまーーーに好きな服を着て行ってみたりもしましたが、それもたまーーーにでした。

大学生あたりから、祖母や母から着ていた服やアクセサリーや靴や鞄をお下がりとして頂くことが多くなりました。

今でも全身お下がりの日があったりします。

当時は授業で舞台制作をすることが多く、その中で役者は全員、スタッフワークも兼任しなければいけなくて、私はやはり"衣裳"を兼任していました。

しかし昔からどうしたって自分のセンスはダサいと思っていたので"衣裳"プランナー(デザインをする役割)のデザインを元に、ミシンや手を使って形にする作業をしていました。とてもとても大変だったのですが、やはり素材に触れたり、上手くデザイン通りの形になったときの喜びは大きく、何より、舞台"衣裳"の教授が教えてくれた技術は今でもとても役になっています。

飾りが取れなくなる方法や、早着替えの仕掛け、靴が脱げなくなるようにしたり、ワイシャツがズボンから出てこないように加工したり、布の染め方、工業用ミシンの使い方(これはもう忘れてるかも)、などなど、役者がストレスなく動ける"衣裳"を教わることが出来てとても良かったと思っています。

 

 

そして現在。私は好きな"衣裳"を着ています。

私の中でここ数年はチャイナと和風と50'sファッションが大流行しています。

50'sのきっかけはいつからだったか忘れました。笑

でも多分、祖母の服を頂くようになってからかもしれないです。かっこいいんです。当時の服。

現在の私の"衣裳"には1つルールがあって、それはウエストがマークされていることです。

エストの部分でシルエットがキュッと締まっていないと、全体が締まった感じがしなくて落ち着かないのです。なんでだろう。。。

ある日、スタイリストをしている友人と飲んだときに「ももさんのファッションは50'sですよね」と言われて、そうなの?!となり、調べてみたら本当に50'sファッションがドストライクだったのでした。

チャイナのきっかけは昔から好きだった『ドラゴンボール』に加えて、『らんま1/2』のアニメを観たからでした。チャイナかわいい!となり、そこから少しずつチャイナテイストの"衣裳"や"小道具"を集めるようになりました。今ではチャイナも流行っているので随分外を歩きやすくなったように思います。

和風のきっかけは海外でモデルをしている友人が「海外が想像するアジア人になる」ということをしていて、その考え方に感銘を受けたからです。私の顔はステレオタイプのアジア人なので、和風やチャイナに寄せてしまうと、なんというか、決まるな、と思うようになりました。

 

そして上記の服や他の服も、私は"衣裳"として着ています。

その場所に合わせた服を着るのも楽しいし、その服に合わせたメイクや髪型を作るのも楽しいです。

ここまで書いてきて、小さい頃に着ていたなりきりパジャマを、私はずっと着ている感覚なんだなあ、と思いました。コスプレではないから、あくまでもなりきり。それみたいに素敵になりたい、その世界観の一部になりたい、その全てが一般的にオシャレじゃないのかもしれないけど、好きな"衣裳"だから着ているのです。

 

これからも私は好きな"衣裳"を着ていきたいと思います。

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